御菓子司 喜久月

喜久月について

店舗の写真

◯ 大正6年創業

 御菓子司 喜久月は、大正6年から台東区谷中の寺町に店を構える地域に寄り添った和菓子屋です。当店の歴史ある和菓子は皆様の御茶席のお供に、または大切な御進物として永く愛されてまいりました。全国菓子大博覧会特等賞を受賞した看板菓子、あを梅をはじめとし、その時々の季節に応じ、9種類から10種類のお菓子をお作りしております。季節の遷り変わりと共にお楽しみ下さい。
 当店は台東区谷中 言問通りに面しております。日暮里駅からお越しの際は南口から出て、自然豊かで閑静な谷中霊園をお通り下さい。深緑のひさしとのれんが目印です。

賞状の写真

◯ あを梅

 当店の看板菓子、あを梅は喜久月の3代目店主、青山信雄が考案しました。青山信雄は1922年に谷中で生まれ、13歳で喜久月に弟子入りしました。その歳から小僧として働きながら菓子作りの様子を見て覚えていきました。そして丸3年過ぎると実際の菓子作りの厳しい修業が始まり、19歳で一人前の職人として転々と渡り歩き、腕を上げていきました。その後喜久月に戻り、高い製菓技術と伝統的な和菓子への強い思いからあを梅が考案されました。
 新作菓子「あを梅」は1954年、第13回全国菓子大博覧会で特賞を受賞し、1986年には青山信雄は台東区優秀技能者として表彰されました。

あを梅の写真

◯ 著名な文化人も愛した味

 喜久月のお菓子、特にあを梅は歴史上著名な文化人の方々からも愛されておりました。俳人、中村汀女さんは「伝統の銘菓句集」で「豊後ぞと実梅は太し菓子ほどに」とあを梅の詩を詠まれています。
 また、昭和4年から10年に渡って上野桜木町に住まわれていた小説家、川端康成さんも、あを梅を愛してくださった1人です。甘党の奥様、川端秀子さんがよくいらして買っていかれたと言われています。来客の際によく出していたと川端秀子さんが後に回想記、「川端康成とともに」で語っておられます。